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駄文(初投稿)

相互さん。先程たまたま絡んだ際に素敵なものを頂いたのと
普通に上手いのでBGMにどうぞ。
カバー元の楽曲も好きです。当方社不なので。

どうしても文章を書きたかったので打ちます。
風邪はひいて眠いわ地味に生活リズム整ってきて眠いわ(寝ろよ)ではあるのだけれど、前々から“blog”という形態をとりたいと思っていてもなかなか時間を作れなかったこと、こうしてローでもハイでもない珍しく落ち着いた精神状況でもないとできないことでもあったことから少し無理をしてでも……ね。どうせやんなきゃ気が済まなくて寝れないだろうし。

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先日からつい最近まで「『絵』のお仕事」をさせていただいておりました。
Twitterでもつぶやいたけれど、SKIMA経由でSNSアイコン制作のお仕事です(このサイトにはそのうち記録しておきます)。
この名義になってから正式にイラストのご依頼を請けたのは初めてになるのかな。

絵の仕事のなにが良いって、なにより“マジメ”に描けることですね。
「普段からマジメに描けよ」なーんていう至極ごもっともなお説教は置いておくとして、自主制作に手をつけようとしてもだんだんとどうでもよくなっちまうんです、僕は。

リユウはそれはそれはシンプルかつ怠惰に満ちたもので、「誰にもメイワクなんてかからないのだから、自分の『描きたい』『描かなくてもよい』絵を描いてしまう」というもの。

どっこいご依頼となるともちろんそうはいかない。
ご依頼主様の人生にささやかな華を添えることになるのかもしれないのだから、ましてや「仕事」という形式である以上金銭のやりとりすら発生してしまうのだから。責任はキッチリととらねばあかん。

……前言撤回、お金が発生しないのであれば実質的には責任をとる必要はないんだろうね。
少なくとも金銭を受け取る以上のナニカを提供しなくてもいいと思います。

むしろそれはお互いの信頼の上で成立する純粋な「親切」か、提供する側が一方的に損をする「お人好し的行動」の二択になりますし、かえって高くつく場合もあるし。
そんでもって失うものはなんでかお金じゃないかもね。怖いなぁ。

閑話休題。

なんだかんだ僕は“描く”という行為に対してある種の病気的・あるいは狂気的な側面(おいそこ“全面的”とかいうな)があるので、ケッキョク手は抜けない気もします。
しかしながらコレは相手に対しての善意の責任感なんかでは決してなくて、ただのエゴ、自己満足に過ぎないのだと思う。

むしろ他者の関わるような絵を描く、という場面に出くわしたときに手を抜いたような記憶が振り返ってみても全くない。ホントにちょっと考えてみたんだけれど、真剣になくてビックリした。
それなりに生きてきた人生、誰かしらへの腹いせに馬糞くらい描いたってよかったのかもしれない(食事中の方ごめんなさい)。

だから絵で食っていける可能性があるこの職業は天職に違いないんだろうな、とは思う。
あくまで可能性止まりに過ぎないのだけれど。

「描く」をなんとか労働に昇華できないかと苦しんできた、本来ならば趣味にとどめておいて、好きなときに好きなものを描く方が「愉しむ」という意味では純粋であっただろうし、その道の方がよっぽど「芸術」として極められたんだろうが、こうなってしまったものは仕方がないしむしろ感謝すべきなのかもしれないね。

よって“AIイラストレーター(大嘘)”は滅びろ。
「AI」も「AI絵師」も別に全否定まではしないし僕が趣味で描いている分にはなにも言わんかったが、他人様の絵で金儲けして、その上「「「これは僕・私の絵です!!!!!」」」とかなんとか主張するやつは「営業妨害&不快不愉快目障り」なんで切実に辞めてくれ。百歩譲って僕がこんなところで愚痴るまでに至らないにしても、通ってる神経は本当に同じ人間のソレか。

「絵に触れる」が主目的なのであれば別にいいよ、AIの活用そのものは。芸術、文化は人間らしさを主張する上で間違いなく尊重すべき概念だと思うから。
けれど本当に“触れる”だけならネットにupする必要なんてないじゃないですか。もはやそこまでいくと触れるのみならず、助走つけて身体ひねってからグーでぶん殴ってますよ、それも狂気の笑顔で。

結局こういうときに揉める根本因となるのは「ひととして」という概念なんだなぁと痛感する。
これができていない輩が、子どもたちの想像する10億倍はいる。

子どもたちといえば、彼らは住んでいる視野と世界が狭いだけで、考えていることは案外大人と変わらない。
舐めてかかると痛い目を見る……数十年後にね。

子どもたちは宝石の原石であるのには間違いがないが、決して大人のアクセサリーではない。

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脱線。

ひとつのテーマでどれだけ書く気だ四季さん……。
まぁこんな駄文、読んでも読まなくてもどっちでもいいどころか有害、広がってしまえば公害レベルな気もするので途中で離脱してもらった方がたぶんに都合がいい。青い惑星・地球にとって。(僕の文章はCO2かよ

ちょっと“浄化”しようと思うので緑を添えます。

旅行の目的地・鬼怒川温泉……に向かう道中、電車内から撮った車窓の景色です。

一瞬で通り過ぎる鉄柱をiPhoneがこんなにもピタッと捉えたのには驚いたよね。
シャッター音「だ・る・ま・さ・ん・が〜〜転んだ♪」でいいんじゃない?知らんけど。シャッタースピードエグそう。

Twitterではおもしろおかしく“(鬼怒川を晒せ)”なんて滑り散らかしておきましたが、他のちゃんとした写真はプライベートなインスタに上げる予定なので誤魔化しただけなのでした。あくまで本業:カメラマンじゃないし、僕は。

後でこの記事のサムネにできるようにテキトーなコラージュイラストでも忍ばせておきます。
それも上述したように、ほぼ自分用なんで文字通り“テキトー”なヤツです。「適当」なんてきちんとした表現もできないくらいの。

当写真関連ははじめに前置きしたように「浄化目的」なんで特に語るつもりはないです。
大雨でクツの中が洪水したもんだからくつしたを脱ぎ捨てビニール袋を履いて口を縛り再度クツを履き直し、その場にいたご婦人一行にガン見&ドン引きされたことなら書けます。恥ずべき過去を晒すのワリと好きな変態変人なんで。

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音楽聴き放題サブスクから足を洗いました。……いや別に罪じゃないけど。
音源の自由度の問題ですね、それとなんとなく不便なアナログの手間(?)がある生活に戻りたかったんです。

MacBookにCD経由で読み込ませている間、謎の“ワクワク感”がありました。
取り込んだ後にiPhoneに同期させたのですが、所有欲まで湧いてきたから“〜音源懐古のススメ〜”記事でも書きたいくらい。需要はたぶんない。

追記:取り込んだCD、ところどころ音源が途切れていたり止まる。
f味があると考える。どちらかというと不味い方の。

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いい加減飽きてきたのでちょっとしたお知らせだけして寝ます。

来月……6月ですね、とあるギャラリーさんにて作品を出展させていただく予定です。
手続きもしっかり進めているので、トラックに轢かれて異世界転生していなければ今のところこの世界に存在し続け大丈夫なハズです。

ギャラリー出展は生まれてこのかた初体験になるのですが、近頃他のイラストレーターさんの作品をそういった場所でお見かけするような機会が増えて憧れていたというのもありまして……。

場所はザックリ東京、在廊もします。
ほぼ必須みたいなので。

つまり「四季ことは(リアルのすがた)」が現場に佇むワケなのですが、その要素についてのメリットは皆無とお考えください。絡まれたら最後、無限にへらへらしながらコミュ障を発揮します。

具体的には当日の「気温」「湿度」「気圧」の話しかしません。もはやその辺のオバサマ・オバアサマの井戸端会議です。作品について聞かれたらきっとどこまでが日本語なのかわかりません。もはやあの辺の宇宙人同士の交信です。どの辺だよ。とにかく非推奨です。

詳細は追ってお知らせすると思いますのでご興味がある方はぜひ。

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「形式上は」寝ます。快眠ココア(天下のバンホーテン)もなくなりかけだし。
当社調べでは一番よく眠れる市販品なんですよ……それではよい夜を。

 

ps.にしてもついったのくだらん補足ばっか書いてるな.

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